同じ被写体(モチーフ)に向かっても、“撮る人の目”が違えば、全く違うモノになってしまうが写真。それはデジカメだとか、銀塩カメラだとかという問題ではない。今回は、デジカメの撮影というより、撮影者の気持ちについて触れてみたい。





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冬の青空は気持ちが良い。こんな日は、写真を撮りたくてウズウズしてしまう。「今日は“カタチ”が面白いモノを撮影しよう」と探していたら、頭上に格子状のコンクリートが現れた。パッと見には何てことないものだが、斜めから見ると遠近感もあり、なかなかアートしていたので、迷わず撮影。太陽光は順光であったが、格子に立体感の出る影も出ていて、申し分のないライティングであった。どんなところでも、見方を変えれば撮影対象になり得るのだ。



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外壁の模様が面白いお店があった。壁のギリギリまで近づき、“カタチ”の面白そうな部分を手前に入れて構図する。その延長に窓を入れることで遠近感が出て、奥行きのある写真になった。第1話の茶碗の写真と同様、撮りたいモノだけを大きく撮るより、“オカズ”になるようなモノも背景に入れて撮ったほうが、雰囲気のある写真になる。写真の中に“主役”と“準主役”があると、物語性が生まれるのだ。ここでは、ストロボなしの“地灯り”のみで撮影した。



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東京・隅田川にかかる勝鬨橋(かちどきばし)。隅田川には橋がたくさんあるが、この橋ほどデザインが美しく、撮影していて楽しい橋はない、と僕は思っている。近くには東京の台所・築地市場があり、トラックの往来が激しい橋でもある。夜にはライトアップされ、これがまた美しい。目で見ると緑色はしていないのだが、橋に付いている水銀灯の光の影響で、写真では“グリーンかぶり”してしまう。これはデジカメでも銀塩カメラでも同じこと。デジカメの場合、ホワイトバランスの設定を変えれば、この“グリーンかぶり”は解消されると思う。これも、ストロボは使用していない。



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たまたま見に行った写真展会場のビルの階段。“カタチ”にこだわっていなければ、通り過ぎてしまったかもしれない。本日のテーマ“カタチ”を気にしていたからこそ、見つけられた被写体だ。元々、黄色い階段ではあったが、写真では照明の影響で全体的に“イエローかぶり”してしまった。階段は、撮影し出すと、結構はまってしまう被写体である。



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これも、“カタチ”の美しさに惹かれて撮った。日常の何気ないところに、被写体はころがっているものだ。ただ、それに気づくか、気づかないか。自分の気持ちにゆとりがないと、なかなか見つけられなかったりもする。デジカメだと平面的な写真になってしまって、奥行きを表現するのは難しいが、それが逆に不思議な空間を作り出したりもする。この写真に変な魅力を感じるのは、僕だけだろうか。
本日のテーマは“カタチ”


「ふ〜っ」

編集者Hさんの「放浪写真家・デジタル化計画」のいけにえになってしまった僕は、悩んでいた。

「デジカメになって機動性は良くなったものの、一体、何を撮ればいいのかねぇ。僕の日常? それもどうかなぁ? ふぅ〜っ」

そう、デジカメを持っていても、撮り手側が心ときめかなければ、なかなかシャッターは切れない。風呂に入りながらボーっと考えていると、名案が浮かんだ。

「あっ、そうだ! あれ、やりますかね。あれっ」

「あれ」とは、写真学校の1年目にやった“本日のテーマ”作戦である。「カメラを持ち歩いても、なかなかシャッターチャンスに巡り合えない」などと言い訳していた僕に、ある先生が授業で面白いことを言ってくれた。

「写真が撮れないときはなぁ、“本日のテーマ”を決めて撮影してみるといいぞ。テーマが浮かんだら、それを箇条書きにしたり、絵に描いたりするんだ。イメージが湧かなければ、写真なんて撮れないんだから」

イメージが浮かべば、それを探そうとする。撮影に行ってイメージしたモノが撮れれば成功だし、もし撮れなくても、イメージしたモノを探しているときに思わぬ副産物が見つかるかもしれない。要は“きっかけ”を作ることだというのである。

イメージに沿ったモノを探そうとする“目”があれば、不思議なことに、いつも見ている風景が全く違って見えてくる。悩んだり、言い訳したりしている暇があったら、撮影に出かけるべきなのだ。

それまで“撮れない”と思っていたのは、自分が気づいていなかっただけで、実は見落としていたものがたくさんあった。その場に居合わせて、その瞬間を見逃さない。それが、“シャッターチャンス”なのである。

“チャンス”には、待っていればやってくるモノと、自分が行動しなければ巡り合えないモノがある。たいていは自分から行動しなければ、チャンスはやってこない。世の中そんなに甘くないのだ。

その先生の授業を聞いた日から、僕は確実に変わっていった。暇さえあれば、自分の撮りたいモノを思い描いて出かけた。すると、どうだろう。あれよ、あれよという間にフィルムを消費していくではないか。

慣れてくると、事前に考えていかなくても、移動中にイメージできるようになり、撮影中も「こんなのがあったらいいな」と現在進行形で考えて撮影できるようになった。自分の中で、何かが“吹っ切れた”のである。

そんな“最初の1歩”を思い出した僕は、デジカメを持って街に出かけてみた。僕の“本日のテーマ”はズバリ「カタチ」だ。

街には、さまざまなカタチが溢れている。○、△、□といった単純な構成が織り成す造形美。“カタチ”は、角度によって見え方が変わる。ふだんの姿勢で見るのと、しゃがんで見るのと、高い位置から見るのとでは、全然違うカタチになるのだ。

それは撮影ポジションの重要さにもつながる。どの角度から見ると最も美しいか。近づいたり、離れたり、立ったり、しゃがんだり、自分が動いて、その被写体を最高に見せることができる場所を探すのである。それが見えたときは、至福の喜びを感じることができる。

前回も書いたように、デジカメでは基本的にズームは使わず、ピントも露出もオートでの撮影。設定は内蔵ストロボを使うか使わないか、それだけである。シャッターを押すだけという条件なら、どんなデジカメでも同じことができるはずだ。

たくさんの機能が付いたカメラを使えば、確かにいろいろな撮影テクニックを使うことができる。モノによっては、そういうカメラでないと写せない場合もある。しかし、最も重要なのは、撮影者の“目”だ。いかに面白いところを見つけ、いかに良い角度で、いかに良い瞬間に撮れるか。ただ、それだけなのである。

デジカメでも、銀塩でも、写真を撮るという行為に変わりはない。デジカメのお陰で“初心”を思い出すことができた。今回、悩んだのは結果的に良かったようだ。テーマを“カタチ”にしたのも正解だったと思っているが、どうだろうか。


by 清水哲朗

つづく

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