◆モンゴルのインターネット事情
首都ウランバートルには、昨年ぐらいからインターネットカフェがずいぶん増えた。パソコンを持っていくのは大変なので、僕も利用していたのだが、日本語のできるインターネットカフェはまだ少ない。利用料は1時間で100円程度。回線速度が遅いので、ちょっとイライラするが、モンゴル人の友人に『モンゴリアンチョップ』を見せることができたのは嬉しかった。





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北京行きの飛行機の中から撮影。飛行機に乗るときは必ず、窓側の席に座ることにしている。太陽のある側で、翼のかからない席がベスト。日の出、日の入り前後のフライトはかなりオススメ。如何なる時でも写真を撮ることができるのは、写真家にとって幸せなことである。




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僕が乗った号車の女性車掌さん。モンゴル語で話をしたので、すっかり仲良くなった。メーテルって呼んでもいいですか? ちなみに、この女性車掌とは帰りの列車でも会った。1カ月ぶりの再会だったが、僕を覚えていてくれた。




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列車のコンパートメントでルームメイトだったモンゴル人のおばさん。ニュージーランドにいる娘に会いに行ってきたそうだ。孫の写真を嬉しそうに見せてくれた。




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雪山に青空、そして素晴らしい雲。文句なく美しい風景だ。このような風景を見るためにモンゴルへと旅立ったのだが、実際は雪があまり降らず、汚い雪原ばかりを見ていた。このときは前日に雪が降ってくれたお陰で、綺麗な雪の写真が撮れた。




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ウランバートルは雪が少なかったが、100Kmも離れると平原は雪に覆われていた。牛が草を求めて、移動していた。ゾド(雪害)のニュースを新聞やテレビで見て心配していたのだが、この辺りは草が少し生えているので大丈夫そうだ。
第1話 ウランバートルは−30度


手荷物削減のために極寒仕様の服をすべて着たまま、成田に向かう電車に乗り込んだが、時期はずれの大汗をかいてしまい、自分の馬鹿さ加減に後悔していた。

「やっぱり日本で着る服じゃないな、これは」

しかし、荷物になってしまうので、脱ぐに脱げない。電車は一駅ごとに乗客が増え、満員になってしまった。ただでさえ目立つ格好なのに、大きな荷物を4個も持って場所を占領していたものだから、周囲の冷たい視線は僕に集中。下を向いておとなしくしていたものの、流れる汗は一向に止まってくれない。

「ごめんなさいね。今から僕、厳冬のモンゴルに行くんです。許してください」

心の中でつぶやいたが、誰にも伝わるわけがなかった。

「いや、ここでくじけてはダメだ。北京やモンゴルに着けば、この格好が普通なんだ」

空港に着いても僕はその服を脱がず、汗をかきながら日本を発った。

日が沈む頃、北京に到着。いつものことながら、北京の空はどんよりしていた。

「ふぅ〜。また来たね、北京に。あれっ、寒くない。というか、汗が出てきたぞ」

現地の人は皆、薄着で、僕のように防寒服を着込んでいる人など1人もいなかった。そういえば、機内アナウンスで北京の気温は−2度とか言っていた気がする。東京の気温とそんなに変わらないなんて、僕には大誤算であった。

翌朝7時40分、北京発ウランバートル行きの国際列車に乗ってモンゴルを目指した。荷物が65キロあったので、超過料金として120元(約1560円)とられてしまった。

「この出費は痛いなぁ。予想外だった」

以前は計量しなかったような気がするが……。厳しくなったなぁと思いつつ、払わないとも言えないので泣く泣く払った。

モンゴルの首都ウランバートルまで1日半かかるが、この列車の旅はなかなか良いのだ。北京を出ておよそ2時間すると、車窓から万里の長城を見られる場所がある。駅もあり、10分程度は停車しているので、列車を降りて見ることもできる。その駅には、万里の長城をバックにインスタントカメラで写真を撮る商売をしている中国人もいるから、笑ってしまう。

僕が乗るのは、いつも4人掛けのコンパートメント。部屋のつくりは日本の寝台列車とそう変わらないが、カーテンがないのでプライバシーは守られない。そんなに気にすることではないが、ルームメートが騒がしい奴だと眠れないこともある。

それに上の席の人も、下でお茶を飲んだり話したりしているので、下の席の場合はゆっくりすることができない。今回はラッキーなことにモンゴル人のおばちゃんと2人だけだったので、広々と使えた。

各車両に石炭を使った湯沸し器があり、乗る前にコーヒーや紅茶などのティーバッグを買っておけば、いつでも飲める(コップは自分のものを使うのが原則)。そのお湯でカップラーメンも食べることができるので、僕はかなり重宝している。最近は、車掌さんがお茶を持ってきてくれる有料のサービスもある。

中国側の最終駅、二連に到着するは深夜だ。ここでは列車の広軌を交換するため、いったん降ろされる。中国とモンゴルでは線路の幅が違うのだ。

交換には数時間かかるので、この街で皆、思い思いの食事をする。中国人は中華料理を、モンゴル人はモンゴル料理を食べている。

広軌の交換が終わると、列車はゆっくりと国境付近まで進み、中国側の公安が乗ってくる。悪いことをしていなくても、緊張するものだ。公安は一人一人のパスポートをゆっくりとチェックし、出国スタンプを押す。イミグレーションが終わると、いよいよ国境越えである。いつも国境をこの目で確かめたいと思っているのだが、窓の外は真っ暗で、どこが国境なのか分からないまま、ゆっくりとモンゴルへ入国してしまう。

モンゴル側の国境を越えると列車はまた止まり、ザミーン・ウードで国境警備隊が乗ってきて、イミグレーション。こちらは、すんなりスタンプを押してくれた。

結局、二連の広軌交換からザミーン・ウードの国境を抜けるまでに5時間ちょっとかかり、すでに午前2時近くになっていた。ここを過ぎると、車内のほとんどの人が眠った。

明け方、列車のブレーキの音で目が覚める。どこかの駅に着いたようである。外は雪が降っていて、ホワイトアウトしていた。遠くの景色がまるで見えない。これからの取材では、G.P.Sがあるとはいえ、車で道に迷うことなく行って帰ってこられるのか、少し心配になった。

列車内がなんとなく寒くなってきたので、僕はまた眠ることにした。

昼頃、車掌が1冊のノートを持ってやってきた。中を見ると、モンゴル語や中国語、英語にロシア語、韓国語などで何か書かれていた。列車の想い出ノートのようである。僕も日本語でそのときの思いを綴った。確か、「凍死しないで無事に帰ってこられたら、また国際列車に乗るぞ」みたいなことを書いた気がする。

午後1時40分、ついにウランバートルの街が見えてきた。車内にモンゴルの流行歌が流れている。駅に着くと、友人らが待ってくれていた。外はそれなりに冷えているが、寒くはない。

「今日は暖かいでしょ?」

と聞いたら、

「ううん、今日は寒いよ。−30度あるって」

そこでようやく気づいた。そういえば、僕は極寒仕様の服を着ているんだと……。

列車の旅は長かったような気もするが、着いてみると短く感じる1日半だった。しかし、僕の旅はこれからである。ウランバートルで休んでいる時間などない。田舎へ行く準備を済ますと、早々にこの街を去ったのだった。


by 清水哲朗

つづく


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