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日の出前。デールに着替えた家族は、家長から順に挨拶を始めた。年下の者が年長者の手首から肘のあたりを上に持ち上げる。キスしているように見えるのは、お互いの耳下を嗅いでいるため。
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ツァガーン・サルには欠かせない料理の数々。左にあるのが9段のへヴィン・ボーブ。そして、真ん中にメインの脂身一杯のオーツがある。正月の間はほとんど、この品々とボーズしか食べない。
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ツァガーン・サル用に作ったボーズ。たくさん作って、窓の外か冷凍庫に入れておくのが普通だ。食べるときは蒸せば出来上がり。今年、友人宅では700個ぐらい作ったそうである。並べると、とても綺麗だ。
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ウランバートルへ帰る前日、ドルジ仙人は“不器用”ながらも楽しそうにボーズを作っていた。大きさやカタチが毎回違うので、思わず笑ってしまった。
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第7話 ツァガーン・サル
ウランバートルにある友人のアパートに到着すると、車から砂埃を被ったバッグと撮影機材を降ろした。ウランバートルにいる時は、基本的にここに泊めてもらっている。
友人宅は5階にあるので、重い荷物を持って何度も階段の上り下りを繰り返さなければならない。この階段が、疲れた体には非常に辛い。運転手も手伝ってくれるのだが、二人して「ヒーヒー」言いながら荷物を運んだ。
日本ならエレベーターを使えば“ピュー”で済むのだが、ここはモンゴル。エレベーターはあっても、管理人さんらしき人が改造して寝泊りしているので、まったく使うことができないのだ。まぁ、エレベーターのあるアパートでも使えないことが多いし、乗っているときに停電して「閉じ込められた」ということもよく聞くので、僕は普段から使わないようにしている。
荷物を運び終えると、友人の家族が温かく迎えてくれた。
「いや〜、無事によく帰ってきたね。寒くなかった? ドルジさんには会うことができた? 何も連絡がないから、明日のツァガーン・サルに間に合わないかと思ったよ。疲れたでしょ。まずはお茶でも飲みなさい」
「元気だったよ、僕は。運転手もね。明日だね、ツァガーン・サル。もう準備は終わったの?」
「だいたい終わったけど、ボーズをもう少し作らないとね」
「ドルジさんのところは1000個作ってたよ」
「多いね。うちは700個ぐらいかな」
モンゴルの正月「ツァガーン・サル」は直訳すると「白い月」である。モンゴルで白は「純粋さ」を表していて、1年の始まりの正月を「何もない純粋な月」、つまり、ツァガーン・サルと言っているのだろう。「白い月」とは、なかなか響きが良いものだ。
日本では太陽暦のため、毎年1月1日に新年を迎えているが、モンゴルは太陰暦(旧暦)のため毎年、正月が違ってくる。ちなみに、今年は2月24日がツァガーン・サルであった。太陰暦だと今年は1月24日なのだが、モンゴルでは1カ月遅れの2月24日をツァガーン・サルにしたそうだ。理由がわからないので友人に聞いてみると、
「占いをする人が、1月24日より2月24日の方が日が良いと言ったので、そうなった」
とのこと。そんなことってあるのだろうか。日本人の僕には理解しがたい世界がそこにはありそうだ。
話が一段落すると、僕はとりあえずシャワーを浴びた。いつものように、頭も体も3回ずつ洗う。体はもちろん“アカスリ”を使ってゴシゴシと垢を落とした。
「あぁ〜。気持ちいい。最高だったよ」
翌朝、僕が眠っていると、家族全員が起きてあわただしく何かをしている。皆、民族衣装のデールに着替えて身だしなみを整えているようだ。まだ、日の出前である。
「なんだ、なんだ、疲れてるんだから寝かせておいてくれよ」
と思ったのだが、
「シミズも起きなさい」
と家長に言われてしまったので、泣く泣く起きることに……。どうやら何か儀式があるようだ。
おばあちゃんがスーテーツァイを持って、外に出て行った。家族も玄関から一度外に出て、また家の中に入ってきた。何をやってるのか、僕にはさっぱりわからない。家に入ると、年下の者が家長へ挨拶した。
「アマルバイノー? サイハンシネルジュバイノー?(お元気ですか。良い新年を迎えましたか)」
と言いながら、年下の者が家長の手首から肘のあたりを上に持ち上げた。すると、家長も同じように、
「アマルサイノー? サイハンシネルジュバイノー?」
と返した。これが、モンゴル式の正月の挨拶らしい。
家長への挨拶が済むと、年長者に同様の挨拶をする。こうして家族全員で新年の挨拶をしていた。僕もやり方を教わり、真似しながら家族に挨拶をした。そして、家長が一年の抱負を述べ、アルヒを飲み、「オーツ」(ヒツジ肉、ほとんど脂身の部分)が振る舞われるころ、ちょうど太陽が昇り始めた。
「なるほど、これがモンゴルの正月か」
と感心していると、親戚の家族がそろって挨拶にやって来た。モンゴルでは日の出とともに、親や親戚への挨拶回りが始まるそうだ。親戚の家族も家長から順次、家族全員に挨拶をし、食事していった。
しばらく話をすると、この家族は「他の家にも挨拶に行くので」と帰っていったが、帰り際、家長の奥さんが一人一人にお土産を渡していた。お土産は、靴下やチョコレート、パンスト、文房具など、それぞれ、その人に合ったものが用意されていた。小さな子供にまで渡されるのには驚きだ。
このお土産は、半年前から少しずつ購入してきたものだという。すごい量のお土産が、ダンボール箱やスーツケースに入っている。
入れ替わるように別の親戚がやってきて、同じように挨拶をしていた。家長は休む間もなく、この家族と話をし、アルヒを飲んでいた。
「こりゃぁ、大変だね。どのぐらい続くの?」
と聞くと、
「ずっとだよ。とりあえず正月の3日間は朝から晩までウランバートル周辺の親戚が来て忙しいけど、その後、1カ月は田舎の親戚が挨拶をしに来たりするんだ」
「えっ、ツァガーン・サルって、そんなに長いの?」
元旦から毎日毎日、ひっきりなしに親戚がやって来るので、僕にとっては非常に退屈なモンゴルの正月になってしまった。そこで、来客がある間は、同じく暇している子供たちと他の部屋で朝から晩までシャガァをやり続けた。
僕が北京発の国際列車で到着した2月上旬はマイナス30度とまだまだ寒さが厳しかったが、ツァガーン・サルの頃になると、あの時の寒さが嘘のようにポカポカ陽気が続き、気温もマイナス10度前後になった。モンゴルにも確かに春が訪れたのだ。
ツァガーン・サルを境に、季節の挨拶も「良い冬を……」から「良い春を迎えてますか」へと変わった。ゾドの被害が激しかったところにも、きっと春が訪れたことだろう。
急ぎ足ではあったが、こうして僕の初の厳冬モンゴルの放浪は終わったのだった。
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