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気持ちよいほど空は晴れ上がっている。アルガルを拾いながら、テントの周辺を散策してみたが、大したものはなかった。
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ボル夫妻が来た翌日、小さな女の子ががテントに遊びに来た。一番左の女の子がボル夫妻の娘で、夫妻に僕の様子を見てくるよう頼まれたらしい。娘の友達は写真を撮る時、必ずピースしていた。流行なのだろうか?
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今日もまた夕焼けが美しい。このあと、テントの周辺に信じられないぐらいの“蚊の大群”が来襲する。
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日が暮れた後に、輝く湖面を長時間露出で撮影する。刻々と変わる幻想的な色合いがなかなか面白かった。
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寒いので、体温が逃げないように羽を膨らます小鳥。実はこの時、目も開けられないほど衰弱していていた。
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気ままなテント暮らし
日の出ごろに起きて、釣りをして、釣った魚を調理して食べる。食後に少し本を読むと、眠くなってくるので、また眠る。そして、昼ごろに大汗をかいて目が覚めると、テントの中は40度近くになっている。
「たたたた、たまらんっ!」
とあわてて湖に飛び込み、着ていた服をついでに洗濯する。よくもまぁ、そんな暑い中で寝ていたものだが、下手をすれば脱水症状になりかねないので、反省せねばならない。
そして、湖畔の岩陰で水面を見ながらボーっとして、洗濯物が乾くのを待つ。水浴びしたせいか、耳元を通り過ぎる乾いた風が、爽やかで心地よい。カメラの三脚も、ここでは、すっかり物干し竿代わりになってしまっていた。
夕食前には、薪代わりとなるアルガル(乾燥した家畜の糞)を拾いながら、付近の散策に出かけるが、湖の他に目立つものなど何もない。結局、何の“発見”もないままテントに戻ってくる。テントに戻って夕食を作って食べるころには、すっかり日も暮れてしまい、
「今日もお疲れさんでした」
と眠りにつく。これが、僕の悠々自適なウギー・ノールでの生活である。
湖畔で暮らして3日目。馬に乗った夫婦らしき遊牧民が、遠くの丘を越えて現れた。
「君がシミズか? バットスフから話は聞いている。私はバットスフの親戚のボルだ。ウギー・ノールのボルと言ったら、知らない人はいないんだ。困ったことがあったら、いつでも私に言ってくれ」
そう言うと、馬の背に積んであったズタ袋を降ろした。ズタ袋の中には、瓶に入ったアイラグとシミンアルヒ(蒸留酒)、タラグ(ヨーグルト)、そして新聞紙に包まれたアーロール(乾燥チーズ)、ウルム(保存用クリーム)などが入っていた。
「どうだ、魚はたくさん釣れているのか? もし、魚が釣れなくても、これを食べれていれば大丈夫」
いかにも遊牧民らしい、オール乳製品の差し入れである。僕は礼を言った後、ボルさんに質問した。
「あの〜、ウランバートルに戻る車の手配は大丈夫なのですか?」
「大丈夫、心配しないで。今日から数日間、私は用事で出かけてしまうけど、戻ってきたら必ずウランバートルに行く車を見つけてあげるから、しばらく、ここで釣りを楽しんでいなさい。それと、この辺りに住む遊牧民にシミズのことは話しておいたから。あっ、それから、タルバガンの肉が食べたければ、次に来る時に持ってきてあげるよ」
と笑いながら言った。
「えっ、タルバガンの肉……、ははは」
引きつった笑顔のまま、僕は固まってしまった。ボル夫妻は用件を僕に告げると、馬に乗って丘の向こうに行ってしまった。
夕方、テントの中で日記をつけていると、どうも外が騒がしい。爆音こそないが、なんだかF1のマシーンが行ったり来たりしているようなスゴイ音である。
でも、ここは湖畔だし、車もいないはずだ。ヘッドライトを持って外に出た僕は、ギョッとしてしまった。
「プ〜ン、ウ〜ンッ、ウ〜ン」
僕のテントの周りに、蚊の大群が“蚊柱”となって行ったり来たりしていたのだ。しかも、テントの屋根にも奴らは“ごっそり”と付着していた。
「NO〜〜〜〜ッ」
思わず、アメリカのコメディー映画ばりの大声を出してしまった。湖畔という、水場の近くにテントを張ってしまったがゆえの災難である。
どうにかしようにも、その時は蚊取り線香などの“兵器”は持っていなかった。そこで、さっき拾ってきたアルガルを風上で燃やし、その煙をテントに当てた。多少は効果があったようで、蚊柱は向こうへ移動してしていった。
なんとなく湖に異変を感じたのは、ウギー・ノールを訪れて5日ほど経ってからである。雨も風もないのに、湖が赤く濁り出した。天気も前日とは打って変わって曇り空で、気温も低かった。
ウギー・ノールの水は、もともとフブスグル湖ほどの透明度はなかったが、それでもモンゴルでは何本かの指に入る透明度らしい。その湖の水が遠くの方から濁り出し、それが徐々に押し寄せてくるのがわかった。なんとなく薄気味悪いので、この日は釣りも水浴びもやめてジッとしていた。
翌朝になると、湖の水は元の色に戻っていたが、ちょっと気になったので、この日も釣りはやめて、湖の様子を見に湖畔を歩くことにした。
少し歩いた道端の草むらの中に、丸くなった小鳥のヒナがいるのが目にとまった。その時は“自然の流れ”にまかせようと思って放っておいたのだが、湖畔散策から戻ってきても、そこを動いていなかった。小鳥をを可哀想に思った僕は、テントに持ち帰った。
テントに戻ると、僕はお湯でふやかした米をあげようと試みたが、小鳥は目を閉じて震えたまま、食べてはくれなかった。箱の中にトイレットペーパーと新聞紙をちぎって入れ、クッションを作ってやると、そこへ小鳥を入れた。
「よし、これで風は凌げるだろう」
と安心していたが、僕がアルガル拾いから戻ってくると、小鳥はお尻から血を流し息絶えていた。湖の見える場所に土を掘って、その亡骸を埋葬した。拾った時には、すでにもうあとわずかな命だったのだろうが、余計なことをしてしまったものだと、僕は反省した。
その日の昼過ぎ、湖の水が再び赤く濁り出した。この時、僕はモンゴル放浪始まって以来の大事件に遭遇することとなった。
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