モンゴリアン・チョップではPart IからIIIまで、笑ったり、泣いたり、愚痴ったり、人に助けてもらったりと、毎回、観光旅行では味わえないディープな旅をしてきた。しかし、思い起こせば初めてモンゴルを訪れた1997年夏、僕はまさか、この国がこんなに魅力ある国だとは思いもしなかった。今回と次回は、その当時に撮影したモノクロ写真を掲載しよう。

よそ見をすると落ちるかも


最初にモンゴルを訪れた時、この国について知っていることといえば、ユキヒョウが生息しているとか、ゴビ砂漠には恐竜の骨がワンサカ埋まっているとか、草原があって遊牧民が暮らしているとか、その程度だったと思う。首都ウランバートルのことでさえ、どんな街なのか、人々がどんな生活をしているのか、何も知らなかった。

ただ、その時に撮影したモノクロ作品を見ると、僕がその頃から観光地的な場所を好んでいなかったのがよく分かる。おっかなびっくりながらも、僕なりにウランバートルの魅力を探して撮影していたようだ。今でこそ“どっぷり”浸かった写真を撮っているが、当時はまだ客観的にモンゴルを見ていて、今になってみると、そんなところが面白かったりもする。




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6×6のカメラを肩からぶら下げた僕は、ホテル周辺をプラプラと歩いていてみた。ウランバートルの中心部から少し離れていたこともあり、ホテル周辺では人の姿をほとんど見かけなかった。なんとなく歩いていると、さらに人気のないところへ来てしまった。時間が止まっているかのような不思議な場所で、妙な魅力を感じ、シャッターを切った。そのとき、わずかながら人の動きが感じられた。目を細めてよ〜く見てみると、壁越しの中央タンク部分を掃除している人がいた。「あ、この街にも人がいるんだ」と、ちょっぴり安心した瞬間だった。

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建物の端のほうに存在感のある、何とも味わい深いゴミ箱が2つ置いてあった。「俺らを撮ってくれよ」というゴミ箱の声が聞こえてきそうなほど、僕には魅力的に感じられた。そういう目で見ると、ウランバートルは汚いなりに“整理された空間”が多数存在している。そんな場所が大好きな僕は、「あれも、これも良い」と“味のある空間”をフィルムに収めていったのである。





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これまた人の気配が感じられない、怪しげな空き地。当時の僕は、モンゴル語がまったくできなかった。そのせいかどうか分からないが、どうも人がいない無機的な場所を求めて歩いていたようだ。この独特の陰鬱さ、淋しさに魅力を感じ、シャッターを切っていたのである。しかし、ここがどういう場所なのか、今見てもよく分からない。


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僕のウランバートルの第一印象がコレ。何かと言うと、街のいたるところにボコッ、ボコッと空いている“穴ぼこ”の存在だ。マンホールなどでも蓋が開いていたりして、「街を歩くときは下を向いて歩け。決して、よそ見をしながら歩くな!」というトラウマのような“ビビリ”が体に染み付いてしまった。今でもウランバートルのあちこちに“穴ぼこ”は健在で、歩くときは十分に気をつけている。


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ウランバートルの国立中央博物館にあるタルボサウルスの全身骨格標本。“骨フェチ”の僕にはタマラナイ代物で、興奮気味にシャッターを切ったのを覚えている。この博物館には恐竜の化石などが多数展示されているので、“骨フェチ”や“恐竜ファン”はかなり興奮すること請け合いである。しかし、モンゴルの博物館は、ほとんど照明器具がついておらず、窓から差し込む地灯りで展示品を見ることが多いのは残念だ。この写真を撮る時、シャッタースピードが遅く、手ぶれの心配があったが、なんとか無事に写ってくれていた。


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思わず「う〜ん」と言ってしまいたくなるような、無機質な感じの風景。たかが線路なのに、やっばり“味”があるのはなぜだろう。本当に線路があるだけなのに、不思議だ。綺麗なモノを綺麗に見るのは当たり前だが、何でもないようなモノ、汚いモノに魅力を感じてしまう僕は、ちょっと変わっているのかもしれない。